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- 「ブンヤ、走れ!」演出ノート
「被災者の目線」としての報道

門田 裕(演出) 1995年1月17日、阪神・淡路大震災により6434人の尊い命が何の前触れもなく失われた。
当時、私は兵庫県尼崎市に住んでいて激しい揺れは経験したが、辛うじて被災は免れた。テレビの画面からは想像を絶する光景が映し出された。それは距離にして僅か20キロ西で起こっている信じ難い出来事だった。
記憶を薄れさせてはならない。時間を巻き戻し、いつか震災をテーマにした舞台をしなければと思っていた。そんな時、脚本家の駒来愼氏が「神戸新聞の100日」を紹介してくれた。当時、三宮にあった神戸新聞本社が地震で壊滅状態になりながらも1日も休刊することなく新聞の発行を続けていく、地元新聞記者たちからの視点で綴ったドキュメンタリーだった。
被災者でもある記者たちが「死」と隣り合わせという恐怖の中で取材し、新聞を発行していこうとする行動は、単なるブンヤ魂では収まらない、必死で生きようとする人間の本能の表れのような気がした。
そして被災現場を内側から取材していく中で、記者たちのとった取材方針は「被災者の目線」だった。家屋が崩壊し、住む場所も家族も失った被災者の人たちが求めている思いとは何なのか。その思いを共有できるのは被災者と同じ目線で取材していく地元新聞記者たちなのだ。
阪神・淡路大震災以降も日本は様々な震災を体験し、災害に対する危機意識や防災対策は以前より進んだと思われる。しかし、復興には地域の人たちとの信頼と繋がり、情報の共有が不可欠だ。そのためにも地元新聞の果たす役割は重要だと感じている。
そんな地元新聞記者たちの奮闘を何とか舞台に表現できればと思ってる。
最後にこの作品のドラマ化を快く了承していただき、資料提供や様々な面で協力してくださった神戸新聞社の皆さまに心より感謝いたします。
あのときと、今と
駒来 愼(脚本)
思いもしなかった、新型コロナウイルスによる感染まん延。2020年が始まるまでは誰もこの事態を想像すらしていなかっただろう。そういえばあのときもそうだった。1995年1月16日までは、誰もあんなことが起こるとは…。
この『ブンヤ、走れ!』の原作「神戸新聞の100日」を手に取ったのは、その年の年末だったと思う。今は無くなった旭屋書店梅田本店に平積みにされていたのは覚えている。すぐに読んで自分の手で何とか”かたち”にしたいとは思ったが、これは映像向きで舞台では無理だと同時に思い込んでしまった。それから20数年…。
阪神・淡路大震災から25年という歳月が近付いてきたあるとき、ぼくは関西を拠点とする脚本家として、やはりこの題材に舞台として挑むべきだと思い直した。そしてその思いを演出の門田裕さんに伝えたところから、この作品はスタートしたと言えるだろう。
あのときこんなことがありました、それだけの作品にはしたくない。それは演出家との共通の認識だった。ありえもしない、そんなことが起こったとき、人はそれをどう乗り越えて再び走り出すことが出来るか、そんな姿を描きたかった。だが、その思いは偶然にも、コロナ禍に混迷する現実と重なってしまったのかもしれない。人々は、我々は、これをどう乗り越えていくのか…。
上演に際して、この企画を取り上げてくださった関西芸術座と、すべてのスタッフ・キャストに感謝します。そして、この舞台を観てくださるお客様、ありがとうございます。どんな非常事態もわたしたちは乗り越え、走り出していけますよ、きっと。
最後にお断りをひとつだけ。「神戸新聞の100日」という本はドキュメンタリーで、事実のみで構成されている。劇化に際して多少のフィクションは加えているし、特に登場人物に関してはすべて架空であり、実在の人物と関係ない。その責はぼくにある。
では、そろそろ舞台の幕が開くようです…。









