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「関西芸術座」創立のとき
■公開日:2021.03.07
■カテゴリ:関芸雑記

1957年、五月座、制作座、民衆劇場の3つの劇団が合同してできたのが関西芸術座です。
大きな期待があるその一方で寄り合い世帯の先行きを危惧する意見もありました。
当時の新聞記事を採録してみました。いろいろの意見が乱れとび、主観と客観が錯綜した一時期でした。

うわさの幕間~文楽と関西新劇の合同問題~

”合同公演”をめぐっていま関西の劇団は政界同様の複雑な動きをみせている。1つは文楽の合同、他の1つは関西新劇の合同――――

新劇合同の筋書

合同劇の舞台に登場するのは「五月座」「制作座」「民衆劇場」の3劇団。一番大きい「五月座」でも研究生を加えて座員55人。どれも単独公演では観客動員が十分きかず「大阪労演」でも例会としてとりあげるには3劇団の合同公演でないと”ごめん”という。昭和28年に「青年演劇クラブ」として合同公演を行い、それから一昨年まで年1回、昨年は2回、計5回の公演を行い、かなりの成果をあげていた。ところが昨年7月ごろ東京公演で赤字を背負いこんだ「制作座」と移動公演に終始して弱っていた「民衆劇場」との間で単一劇団を作ろうという動きが現れ「五月座」に働きかけていた。3劇団から出た準備委員が案を練り、8月第1回の合同会議を開いたが、難航に難航を重ねてとうとう越年、この騒ぎのため今年に入ってどの劇団も、”公演など手につかぬ”有様となった。
<昭和32年3月5日 毎日新聞夕刊・引用>

関西新劇団の合同決る~ねらいは東京劇団への対抗策~

関西新劇の五月座、制作座、民衆劇場の3劇団では昨年8月以来合同問題について協議を重ねていたが、8日夜の合同準備委員会で合同が正式に決定した。一時は合同条件の相違から難航し、3劇団が解消して2つの劇団に割れる気配さえ見せていたが、これでようやく1本にまとまり、100名をこえる座員をもつ大劇団が出来上がることになった。3劇団ではこれまでの合同準備委員会を11日から実行委員会に切り替え、委員として五月座の岩田直二、中村信成、制作座の道井直次、高桐真、民衆劇場の波田久夫、溝田繁ら6名が選ばれ、合同後の新劇団員はじめその他合同の細目は3月末までに決めることになっている。
関西の新劇団はこれまでいわば小党乱立といってよく、いずれも独立して十分な観客を動員する力に欠けていた。しかも戦後たびたび離合集散を続けるばかりでまとまりもなかったためこのあたりで大同団結し、東京の新劇団にも対抗しようというのが、こんどの合同のねらいになっている。<昭和32年3月10日 毎日新聞夕刊・引用>

単一劇団へあと一歩~準備委員会を結成 まだ残る陣痛の悩み~

在阪新劇団五月座、制作座、民衆劇場の合同問題が注視されていたがこのほど単一劇団結成準備委員会を設けさらに積極的に新劇団結成に努力することになった。一方、公演活動としては結成問題とは一応切離して、3劇団協同でマックス・フリッシュ作、加藤衛訳、「そら、また歌っている」(二部七景)を岩田直二が演出、5月に大阪、神戸、京都、和歌山各労演主催で上演することを決定した。

5月には協同公演決る

この合同問題は昨夏8月ごろから話し合いが進められていたものであるが、最初は制作座から五月座へ持ち込まれたもので、民衆劇場はこれよりさき民衆劇場の公演に制作座から佐名手ひさ子が特別出演したのと睨み合わせてもこれより以前に両劇団幹部間に了解がついてと推察される。同機は制作座が昼間活動に積極的に乗り出したため昼間職を持つ一部の人々が全面的な活動が不可能となり、人的資源が薄くなったこと、民衆劇場もまた地方公演を主としてきたが同じ悩みがあり、この共通点と、いっそ東京の新劇団に対抗できる職業劇団へ脱皮しようという宿望とが幹部間で一致したためとみられる。こうしたことから制作・民衆の合同がまず一部で噂されたのは事実である。そこで同じく職業劇団への希望を持つ五月座へ持ちかけられたもので、従って五月座としては最初は受け身のかたちであった。
そして3劇団間で具体的になったのは10月に第1回委員会が心斎橋のグリル・国際で持たれたときからで、委員の顔ぶれは岩田、志摩、中村、三好、柳川、矢野、広野、橘(以上五月座)道井(直)、道井(恵)、高桐、駒井、新屋(以上制作座)溝田、飯沼、波田、小松(以上民衆劇場)らである。以後数十回わたって会合が行われ、経営面は委員制(または同人制)か株式か、人的には劇団員の資格審査の問題など細部にわたって研究討議させてきたが、結局は一応の結果は出ても決定までに至らず、この2月になって合同の可否は3劇団それぞれ総会で決定しようということになり、制作座は未だだが、合同という決定線が出たものである。
合同が可能とすればその時期については従来の合同公演にキャスティングボードを握ってきた青演の幹部を有するこれら3劇団、特に最近では合同公演が劇団単位となったことから考えても、昨年から行われた労演主催の合同公演直前、稽古期間を含めると3月初旬とみられていたが、これが準備委員会へ発展したというのが実情とみられる。
しかい関西としては比較的に多人数を擁し、それぞれ研究所まで持つ3劇団の全員がそっくり合同すれば経営の困難は明らかでその整理も必然的であり、また各劇団内には従来反対を唱えてきた人々もあり、このままスムーズに合同できるかどうかはいまのところ疑問が残る。より大きく力強い理想的職業集団への企画は大阪演劇界のため喜ぶにやぶさかでないが、委員会の今後の動きが大きく注目される。
<昭和32年3月14日 大阪日日新聞・引用>

関西三劇団の合同初公演

半年にわたって話題を投げた関西新劇団の五月座、制作座、民衆劇場の3劇団がようやく単一劇団として発足することになり、その第1回旗揚げ公演を第二次大戦下ドイツのレジスタンスを描いたマックス・フリッシュ作「そら、また歌っている」二部七景を16日から26日まで大阪朝日会館で上演する。
合同によってどんな成果をあげるか、大阪の代表劇団の初の興業として今月の新劇では期待される。
<昭和32年4月29日 毎日新聞夕刊・引用>

「関西芸術座」に決る~在阪合同新劇団の名称~

五月座、制作座、民衆劇場の合同問題は既報の通りだが、新劇団名は去る29日の結成準備委員会で「関西芸術座」(略称「関芸」)と決った。なお創立総会の日取り、役員、構成などについては未定である。
<昭和32年5月2日 大阪日日新聞・引用>

「関西芸術座発足す~三劇団合同実を結ぶ~

五月座、制作座、民衆劇場の合同による関西芸術座は11日夜創立総会を開き正式に発足した。運営は委員制をとるがその正式決定は後日とし、代表委員として岩田直二、道井直次、溝田繁、柳川清、高桐真、広野みどり、三好康夫氏が選ばれたがこの7名がそのまま委員となる見込みである。参加人員は90名で内訳は劇団員20名、純劇団員15名、研究生55名だが、その資格も近く発表される。また昼夜全面活動のできることを条件としているため特別劇団員制も設け、阪中正夫、茂木草介、田中照三、岡田猪之介、小林敏樹、土井行夫の名があげられている。中村信成、志摩靖彦、高橋芙美子、三氏は退団した。
なお昼間活動できぬ旧劇団員らは別の劇団を組織することになる模様である。またさきに発表した通称関芸は他に同名にものがあるため使わぬこととなった。
<昭和32年5月14日 大阪日日新聞・引用>

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